平行世界 SHORT STORY

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 ロシアにはこんな格言があるそうです。
〈マヨネーズをかければゴミでも食える〉
 だったらいっそマヨネーズだけを食べましょうよ。

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[chapter: マヨネーズ航路4]
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 社内の噂が駆け巡る速度も、この面倒そうな事態が収束するのも、僕が考えていたよりもずっと速かった。
 面倒な事態に発展するかと思われたこの案件は、あっという間のスピード解決となった。
『監査部の土方十四郎が振られたんだってよ。』
 土方さんがロシア美人と仲良くなっている……なんて噂されていたのが昨日の今日だというのに、次の日に出社してみると、今度は土方さんが振られてしまったという噂が物凄い勢いで広がっていた。
『え!? だって、昨日までめちゃくちゃ仲良さそうに話してたじゃねーか!? 家に呼ばれたって話だったろ!? 土方は満足そうにしてたのを見たてヤツがいるのに、何があったんだよ!?』
『女のほうがとてつもなく怒ってたって話だぜ。』
『……それは、男のほうがまるで役に立たなかったとか、そういう話か?』
『だったら土方が満足そうにしてたってのはおかしいだろ。』
 本当に、いくらネットが発達しまくった社会であるとはいえ、どうしてこれほどまでにウチの会社の人間は耳が早いのか。いくら土方さんが有名人の部類とはいえ不思議でしかたない。
 様々な憶測と噂が飛び交う中、僕の目の前では、噂話をしていた彼らが知りたがっているであろう事態の真相が今、当事者の口から語られようとしている。
 土方さんが振られた。彼女のほうは怒っている。けれど土方さんは満足そうだった……の時点で、語られるまでもなく何があったのかは判り切っている話なのだが、土方さん本人が真剣に話す気満々で銀さんの許を訪れたので、僕らは大人しく土方さんの話に耳を傾けるしかない。
「俺は……実は、おめーに謝らなきゃならねぇことがあるんだ。」
 土方さんは周囲の視線も憚らない様子だった。銀さんの前に、何かを決意したかのような、真剣な面持ちで立っている。
「…………へぇ? なんだろ。ちっとも心当たりがないんだけど。ひょっとしてアレ? ロシア美人のお宅にお邪魔したとかいう例の噂話についての弁明?」
 銀さんの土方さんを見る視線は冷たい。
「ああ、何だ。知ってたのか。」
 しかし銀さんの言葉を聞いた土方さんの表情は、なら話が早いとばかりの、あっけらかんとして明るいものだった。
「俺と一緒に、一度ロシアに行かねぇか。」
「……――――――――ロシ……はああああ?」
 銀さんが、まるで意味が解らないと云わんばかりの素っ頓狂な声を上げた。僕だって意味が解らない。何故、突然俺と一緒にロシアに来てくれ……になるのか。
「俺は昨日、本場ロシアの人間から、本格的なロシアの家庭料理を振舞われる機会を得た。」
 昨日、昼休憩の時間に食堂で熱心に話していた件だろう。おそらく、土方さんは彼女に自宅に来るよう誘われていたのだ。手料理をご馳走するという名目で。
 子供でもあるまいに、彼女のほうはそれだけのつもりではなかったのだろうが、土方さんはきっと、完全にそれだけのつもりで彼女の家を訪ねた。
「ロシアのマヨネーズとマヨネーズ料理は素晴らしかった。ロシアから来た人間に出会えなければ知らないままだった。日本のものとは根本的に違う。味も種類も、そして量もだ!!」
 土方さんは拳を力強く握りしめて力説する。
「………………ほぉう。」
 土方さんを見つめる銀さんの視線は冷たいままだ。しかし、銀さんはこの時点で気づいたらしい。
 昨日からの己の勘違いに。土方さんが食堂で熱心に目の前の女性と話していた、その話の内容に。
「銀時、実は……俺はロシアの家庭料理にとてつもない量のマヨネーズが使用されるという情報を以前から突き止めていて、その事実を確認するために、昨日の昼飯の時間、一緒にいた女性の家を訪れたんだ。」
「ああ……うん。ごめん土方君。俺、何かもう、割とすげぇどうでもいい気分になっちゃったんだけど。」
 銀さんのそっけない態度の原因を誤解したらしい。土方さんは必死に状況を説明しようとする。
「おめーが怒る気持ちも解る。だが、聞いてくれ。彼女とは何もなかった。料理を振舞ってもらい、それなりの礼をする約束をして、俺は直ぐに帰ってきたんだ。」
「うん。そうね。きっとそうだろうね。」
 銀さんはもはや、相槌も適当になっていた。
「断じて疚しいことはしちゃいねぇ。」
「ンな必死こいて否定しなくてもわかってるっつーの。むしろ何もなくて相手を怒らせたパターンじゃねぇかソレ。」
「ん? ああ、そうなんだよ。本場のマヨネーズ料理を伝授してくれる相手だ。最大限の敬意を払って失礼のないように全力で気を遣ったし、この件についてきちんと礼もするって話をして、最大限の感謝と感動を伝えて、丁寧に対応したつもりだったんだ。けど、何かが相手の気に障ったらしくてな。」
 土方さんは本気で相手の怒りの理由が解らないとばかりに首を捻る。僕ですら、思わず開いた口が塞がらなくなりそうだった。
「ねぇ土方君。君ってそんなに莫迦だったっけ? マジで相手が何で怒ってるか解ってないワケ?」
 銀さんの言う通りだ。ソレ本気で言ってるんだとしたらアンタは莫迦過ぎるにも程がありますよ土方さん!!
「後で改めて理由を聞いて詫びにでも行くから、彼女のことは気にしなくていい。それよりも、今はロシアだ銀時、」
「いや行かねーから。」
 土方さんの言葉をやや食い気味に銀さんが遮る。
「そう言うな。今まで俺のマヨネーズを大量に使用した料理をおめーは犬の餌だのゴミだの散々にけなしてきたが、昨日俺が振舞われたような料理を食えば、てめぇの考えも変わるはずだ。バケツ一杯のマヨネーズを使用しているが、マヨ初心者にも優しい仕上がりが初心者向けで素晴らしかった。お前にも食ってもらいたいが、肝心の料理に使用されていたマヨネーズが日本では手に入らないモノらしいんだ。一度口にして味を覚えているから、俺が自作してもいいが、やはり本場に赴くのが一番に決まっている。」
「ねぇ土方君。マジで勘弁してくんない。っつーか何でわざわざロシアなの。寒いでしょ。遠いでしょ。恐ロシアとか言われてる国でしょ。絶対行かないからね銀さんは。」
「ンだよ。遠慮してんのか? 渡航費用くらい俺が出すから心配するな。」
 土方さんは完全に銀さんの意見を無視し、暴走気味にロシア行きについて熱弁している。
 どうやら昨夜振舞われたマヨネーズ料理が相当美味しかったのだろう。こうなると、女性のほうが不憫でならない。
「なら俺は現地に暗殺部隊の手配でもしといてやるか。」
 ここでようやく高杉さんが口を挟んでくれた。
「やれるモンならやってみろ。マヨネーズを極める者としては世界を見ておく必要があるからな。ロシアのマヨネーズは日本のものと量も種類もケタ違いだそうだ。胸が高鳴るじゃねーか。」
「だから行かねーっつってんだろ。何言っちゃってんの。てゆーかイっちゃってるよね。高鳴らないから。完全に味覚と頭がイっちゃってますよね土方君。」
「おめーにそんなコトを言われるのも今日限りだ。本物を知れば銀時、必ずお前の考えも変わるだろう。近藤さん、俺の有給たまってんだろ。個人的なことで何日も休むのは申し訳ねぇが、使わせてもらえないか。」
 土方さんは大きな声で隣の部署にいる近藤さんに呼びかけ、真剣な表情で有給の使用を頼み込む。その横顔が使命感を帯びていて、無駄に凛々しい。
「だから何ちょっとカッコ良い感じにしちゃってんのねぇ。」
「気にするなトシ。お前がいない間は、お前の分も俺がしっかりやっておく。安心して行って来い!」
「近藤さん!」
「ねぇバカなの。お前ら監査部って揃いも揃ってホントにバカばっかりなの?」
「誰がコイツの有給を許可する権限を持ってると思ってんだ? ロシアにはテメェはひとりで行ってこい。」
「テメェーの許可なんか必要あるか。銀時は俺が力づくでも連れていくさ。」
「あぁん?」
「だから俺は行かないって言ってるでしょ。ねぇ聞いてます?」
「あの……止めて下さいおふたりとも。喧嘩はいいですけど、マジでこんな下らないコトで高杉さんと土方さんが喧嘩するのだけは止めて下さい。」
「誰がテメェみてぇなのに連れさせて、銀時を海外になんぞ行かせるか。そっちが力づくで連れ出すつもりなら、こっちだって力づくで、コイツを監禁してでもロシア行きを阻むまでだ。」
「だから俺はロシアなんか行かねーっつってんだろ。んで高杉、何でお前はそうも俺を閉じ込めたがるの。ペットじゃねーんだよいい加減にしろ。」
「テメェは昨日、俺が不在だからって勝手に銀時を自宅に連れ込んだばっかりじゃねぇか。ふざけたコトぬかしてんじゃねーぞ。」
「だから…………、」
「何がふざけたことだ。テメェがいようといまいと、銀時が俺の部屋に帰って来んのは当然のことなんだよ。」
「どうせ食事か糖分で釣ったんだろうが。さも銀時が自分の意思でテメーん家に行ったかのような言いかたをしてんじゃねーよ。」
「いい加減に俺の話を聞けおめーらはああああああああああああ!!」
 銀さんの絶叫がフロア全体に響き渡った。
 いつもより激しいのは、きっとこんな下らない事態を土方さんの浮気と勘違いしてしまった自分への羞恥と後悔も含まれているからだろう。
 良かった。
 この三人は今日も自由奔放に騒々しく、それでいて、とてつもなく平和だった。





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