ロシアにはこんな格言があるそうです。
〈マヨネーズをかければゴミでも食える〉
冷静に考えましょう?
無理に決まってますから!
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マヨネーズ航路3
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お昼の休憩を終えてからの午後の銀さんは、何かをずっと燻らせているような様子だった。
土方さんは銀さんに軽く手を上げるだけの挨拶をして、珍しく定時で退社していく。銀さんはそれには応えず、視線だけで土方さんを見送った。土方さんを見送る銀さんの視線は、何と言うか、随分と白々しく、冷めたような印象を受ける。瞳の奥底がとてつもなく冷えているよに感じられるから、銀さんのこの視線は恐ろしい。
隠してはいるが、不機嫌なのだろう。
「何してんだ。さっさと帰るぞ。外で飯を食ってからでいいな?」
高杉さんが銀さんに声をかける。この感じだと、銀さんは高杉さんのマンションに帰ることになるのだろう。
「何で俺が当然のようにおめーのマンションに帰るんだよ。俺にだって一応ちゃんと自分のアパートってモンがあるんだよ。」
「単なる荷物置き場になってんじゃねぇか。で、何を食うんだ?」
「荷物置き場とか言うな。こないだデザートで出てきた苺ショートがやたら美味かった店、あそこだな。」
「いいだろう。」
反論した割に、食事処を即答した銀さんは高杉さんと連れ立って帰って行った。
「新八君……、」
限りなくゼロに近い気配で山崎さんが僕の隣に現れ、銀さんの席に腰掛ける。
「副長は、どうやら今日……彼女のお宅にお邪魔することになったみたいだよ。」
「――――っ!?」
「そっちは聞くまでもなく、」
「銀さんは高杉さんと食事をしてから高杉さんのマンションに帰るみたいですよ。」
「…………どうしよう。」
「どうしようもありません。僕は明日、会社を休んでもいいですか?」
「駄目だよ。俺だって、明日のことを考えたら今直ぐ逃げ出したいくらいの気持ちなんだから。新八君ひとりだけ逃げようとか、許さないから。」
「じゃあ山崎さん、何とかしてください。今からでも土方さんを止めに行ってください。」
「マヨネーズのために暴走してる副長を止めるとか、無理に決まってるじゃないか。」
「………………。」
「………………。」
少々の沈黙の後、海よりも深い溜め息が、ゆっくり、ふたり分零れていった。
「で、人の金でさんざん好きなだけ飯食って、あれだけの量のデザートを平らげて、何で不機嫌になってんだよ。」
高杉のマンションに到着するなり、銀時はスーツのままソファに転がり、解いたネクタイを放り投げた。テレビの電源を入れて結野アナが司会を務める番組を発見すると、見るでもなしに画面を見つめた。
表情が勝手に険しくなっていく。露骨に不機嫌そうになっていく表情を自覚しているのに、どうしても繕えない。
「……別に。不機嫌になんかなってねーよ。」
「ンなツラしてるくせに、よく言うぜ。」
高杉は呆れた表情で銀時を見下ろす。
「……ンだよ。」
「相変わらず、バカな野郎だな。てめェは。」
「ああ?」
高杉は、土方が見ているのは女のほうではなく彼女がもたらすマヨネーズ情報だということにとっくに気づいている。新八も山崎も、土方と親しい者のほとんどは、直ぐに土方の目的に気づいた。
というか、普通に考えれば直ぐに判るようなこの状況を勘違いして、土方の興味が他の女に移ったのではないかと思い込んでいるのは銀時だけだ。
「てめェは二股かけときながら、土方の野郎が他の女に懸想すんのはそんなに気に食わねぇか?」
「…………う、るせ。」
高杉の視線が銀時を責める。最低だな、と口には出さずとも弄るような視線を向けられ、銀時はつい、高杉から視線を逸らした。
「誰もイヤだとか気にしてるとか、ンなことは一言も言ってねーだろうが。それに……、」
確かに俺は、二股をかけている状態で、高杉と土方のどちらを選ぶこともできずに、延々このふたりと関係し続けている。
が、状況を許容しているという点で、高杉と土方とて同じことだ。
高杉も土方も、他の介入だけは決して許そうとしないが、互いの存在だけは一時的にではあろうが許している。この三人だから、今だけの『限定』として、全員がこの状況を許容している。
――――俺は、それに甘えている。密かに、楽しんでもいる。それは高杉や土方も同じだ。あのふたりは、最終的に必ずこの戦いに勝つつもりでいるから、そうできるのだろうが。
悪さで言ったら自分を含め、どいつもこいつも、どっこいどっこいだ。悪いのは自分ばかりではない。第一、高杉と土方はよく似ている。認めはしないだろうが、本人たちもそれは気づいているだろう。このふたりは今や完全なる共犯者だ。
それなのに――――
「おめーだって、土方と一緒になって、俺をヤる……くせに、」
ぼそぼそと小声で反論すると、高杉の視線が冷たくなっていく。
「……俺だけ、ひとり悪モンかよ。」
ソファに座りなおして高杉を見上げると、その表情は明らかな不満を示していた。
「そう思うのは、自分が悪いって自覚があるからだろうが。」
声も、露骨な苛立ちを孕んでいる。
「……って、何でこの状況でおめーが不機嫌になるんだよ。」
「俺の時、てめェはそこまで不機嫌にならなかったじゃねぇか。」
「…………そうでもねーわ。」
そう言った瞬間、高杉の纏う空気が和らいだ。
高杉にとって銀時がとても判りやすいように、銀時にとっても高杉はとても判りやすい。
しかし、不満は尽きていないらしい。
「何であの野郎の時のほうが露骨なんだよ。」
「……おめーだって昔、俺が他とヤった時、それほど不機嫌じゃなかっただろが。」
珍しく、銀時が昔を蒸し返した。すると途端に、一度は和らいだ高杉の空気が刺々しくなっていく。
「何もかも表に出さなきゃわからねェでもねぇだろうが。」
口に出さなくても何もかも判れ、ということだ。高杉のこの感覚は、完全に亭主関白のそれだ。
確かに高杉の考えていることなら、銀時は口に出されるまでもなく解ってしまう。高杉がいつ、どういう時に、どうして欲しいのか、考えるよりも先に自分のことのように解ってしまうのが銀時だ。
銀時の胸倉を掴んだ高杉は、乱暴な動作で銀時をソファに押し倒す。
「――っ痛!! っつーか、あの後おめーにされたコト考えたら、不機嫌どころかマジギレだったコトくらい丸わかりだって前に言っただろ!? 隠す努力して最終的にキレるくらいなら、暴挙に出ねぇ努力をしろテメーは。」
「てめェがいつまでも気づかねぇフリなんぞしてるから、ああいう手段に出てただけだ。」
「俺のせいかよ!? おめーにだって昔そういう時期があっただろうが!!」
「――――、」
銀時の言葉に、高杉が少しだけ目を瞠った。
「そういうコトが言えるようになってるんなら、少しは進歩してる……な。」
高杉は不意打ちのように真剣な表情で銀時を見つめて、頤に手をかけ、逃げられないように固定する。
「――っ!? お……い!?」
「そう、ずっとだ。てめェが言ったように、俺が自分の気持ちを特定の言葉で括ることを拒絶していた時からずっと、俺の中に……この気持はあった。」
「――――っ!!」
緊張で、途端に銀時の呼吸が浅くなっていくのが判る。
けれど――――……
「銀時、」
もう少しだけ、追い詰めさせろ。
「おれはずっと、この気持ちを抱えてきた。俺がそれを認めて、てめェが逃げてる間も、ずっとだ。」
「た――――……、」
銀時の唇が震える。胸の上に手のひらを置くと、早鐘のように打つ鼓動が伝わる。
「ずっと、俺の気持ちは変わらねェ。」
「ま……――――っ、」
――――っひゅ。
あっという間に緊張が極限に達し、呼吸をコントロールできなくなったのだろう。
銀時が音が聞こえるほどの強さで一気に空気を吸い込もうとする。即座にその口に自分の唇を重ねて塞いだ。余計な息を吸い込めないように身体ごと押さえつけて、荒れそうになる呼吸を整える。
「……っん、――――っく!!」
押さえつける自分を撥ね退けて、闇雲にただ息を吸おうとする銀時を、力づくで押さえつける。
「……っ!! ん――――っ!!」
しばらくの間、呼吸を求める銀時と揉みあいになった。
もう離しても大丈夫だと判断してからも、呼吸を奪うように唇を重ね続ける。
思う様腔内を蹂躙し尽くして高杉が満足した頃に、ようやく銀時は解放された。
「――――っぶ……っは!! ……って……めーは、相変わらず、」
「ヘタに苦しまずに済むんだからコレでいいだろうが。」
「ソレ意外のやりかたはねーのかよ!?」
「たまには追い詰めてやらねぇと、てめェはすぐに緊張感がなくなって弛むからな。」
コレ意外のやりかたで抑える気はない、と言外に断言して、高杉はゆったりとソファに腰掛け直した。
「それに、てめェの杞憂はどうせ直ぐに解決する。」
「…………は? き……何?」
高杉がとてつもなくバカにしたような視線を向けて、またも呆れきった表情で断言する。
「なんか……凄まじくバカにされてる気がするんですけど、気のせい?」
「俺ァ今、確実にてめェをバカにしてる。」
「ンだとテメェゴルア!!」
巻き舌でいきりたつ銀時に、高杉はため息をついて、今度は自嘲気味に呟いた。
「ついでに、自分のこともだ。」
「…………はあ? 何言ってんだお前は。」
いい機会だからと土方を銀時から引き剥がす算段でもすれば良かったものを、余りにも下らないと思ってしまったせいもあり、しなかった。
まるで土方に相応の価値を認めているような気がして気に食わない。アレは所詮、番犬だ。銀時が気に入ってしまい、捨てるのが惜しくなっているだけのもの。今一時だけのもの。
銀時のトラウマを癒すことに使えそうだったから許容しているだけで、ある程度餌を与えて飼いならしているだけだ。
アレがきっかけとなり、銀時が変わり始めている。それは確かなことだ。だが、誰が認めてやるか。あんな気に食わない野郎のことを――――!!
……そう思っている時点で、認めている証拠なのがまた腹立たしい。
あの相手だけは自分で負かさなければ気が済まないとか、どこのガキだ?
今まではもっと、乱暴に強引に、思うまま、傍若無人に銀時を縛ってきた。銀時にとって、自分に並ぶような人間が存在するようになるなどとは、想像もしていなかった。当然、許せもしなかった。
それが今や…………このザマ、か。
「おい、なに人のコトほっぽって物思いに耽ってやがる。」
「…………あ?」
銀時が変われるなら……などと、思えるようになってしまった自分がいる。
「おい高杉? ぼけっとしてるとアホヅラがますますアホっぽくなるぞ。」
「……てめェのアホヅラに比べりゃマシだ。」
「ンだとこの――……、」
どこまで丸くなってんだ。優しい保護者なんてガラじゃねぇだろ。
「……――――っん、お……い、」
「逃げんな。」
「ん……んぅ、」
絡めた舌から、銀時の動揺が伝わる。
「――――っおい、待て……って、高杉。」
「ンだよ。」
「キスひとつでも優しくされると落ち着かねーわ。何か悪ィもんでも食ったのかよ?」
「………………、」
思わず深く息を吸い込んでしまった。
「おい、高杉?」
深い溜め息としてゆっくり吐きだしてから、銀時の手首を掴む手に力を入れる。
「イ……って!?」
「それは、それなりの覚悟があっての発言なんだろうな?」
「え……っと、アレ? 高杉君? 目ぇイっちゃってますケド?」
惚けた表情が腹立たしく、愛おしい。
互いの内面の変化はともかくとして、やはり俺は俺らしく、思うまま銀時を振り回すのが似合いらしい。