平行世界 SHORT STORY

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 ロシアにはこんな格言があるそうです。
〈マヨネーズをかければゴミでも食える〉
 本当かどうかは、判りませんけれど。

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マヨネーズ航路1
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 早朝、いつも通りの時間に会社に辿り着いた僕は、相変わらず高々と聳え立つ、自らの勤務先のビルを見上げた。
 始業時間まではまだ随分と余裕のある時間帯だが、この時間から出社してくる人も多い。通勤途中で買ってきたと思われる朝食の袋を持っている人たちも沢山いる。
 朝晩の冷え込みが増す季節になってきたからだろう。皆足早に入り口を目指していた。
 この会社には、色んな人がやって来る。
 ここに勤めている僕ら社員は勿論、お客さんや出入りの業者さん、元役員なのにホームレスにまで転落したマダオと呼ばれるオッサンまでもが、何の用があるのか時折社内に出入しており、取引先から出向して来たと思いきや、受付で大暴れした挙句、気に入った社員に手を出したりするような厄介な人だって来ることがある。
 この会社に入ってからというもの、そうやって普通の会社ではちょっとあり得ないような事態に何度も遭遇し、特定の上司や先輩に絡むトラブルに何度も巻き込まれ続けてきた。
 お陰様で、最近の僕はそういう嵐が来そうな日が、気配や感覚で、なんとなくだが判るようになってしまっていた。
 面倒事が舞い込む日はどうも『何かがある予感』がするのだ。
 が、今朝はそんな空気の感じられない爽やかな朝だった。平和な一日を過ごせそうな気がする。
 そう思いながら、ビルを見上げて一度は止めていた脚を再び動かそうとする。――――と、
『ロシアからすっげぇ美人が来てるって。』
 直ぐ近くで話す、社員と思しき人たちの声が耳に入ってきた。
『ちらっと見ただけだけど、金髪超キレイだったぜ〜。』
 そんな話はちっとも知らなかったし、僕の行動範囲が狭いせいもあるだろうが、それらしい人も見かけていない。
 今回の来訪者は、一見すると僕らには何の関係もないように思われる。
『日本語ペラペラなんだってさ。』
 仕事で日本に出向してくるからにはペラペラじゃないと困るだろう。ウチの会社のことだ、ロシア語のできる社員だっているだろうが、常時通訳をつけなければならない状態じゃ、仕事がしづらくてしょうがないんじゃないか。
 そんなことを考えながら、噂話をする彼らから離れようとした。
 その時だ。
『監査部の土方十四郎が、早速仲良くなったって話だぜ。』
 ――――――――っ!?
 聞こえてきた内容に、思わず脚が止まる。
『はああ何でだよ!? ソイツは確か、高杉晋助と一緒になってあの坂田銀時を囲うのに必死だって、有名な話だろ?』
「……っちょ、それ、」
 思わず、どういうことですか、と声を上げそうになる。しかし、ここで僕が声をかけて逆に下手なことを聞かれたら……と考えた瞬間、声が詰まった。
 銀さんは高杉さんと土方さんに囲われているわけではない。確かに高杉さんと土方さんはふたりで協力し、銀さんを軟禁していた時期があったけれど、彼らは別に、銀さんを囲っているわけじゃない。
 正確な状況を説明するなら、単に銀さんが高杉さんと土方さんのふたりを相手に二股をかけているだけだ。男ばかりの三つ巴という非常に面倒な状態で、高杉さんと土方さんが、銀さんをめぐって争っているだけだ。
 ……色々と、ダメ過ぎる。
 そんな状況を知ってしまっている僕が、いつも銀さんたちと一緒にいる僕が、この人たちに声をかけたら――――……
 土方さんがどこぞの女性と仲良くなったという話を聞く前に、こっちが質問攻めにされる破目になるだろう。
 色々と深く事情を知りすぎているだけに、上手く誤魔化せる自信はまるでない。
『気持ち悪ぃくらい真っ白な頭してんのなアレ。やたら綺麗だって騒ぐ女子がいるけど、あの見た目はちょっと異様だろ。』
『変な趣味でもあるんじゃねーの。囲ってるどころか、あのふたりにペットにでもされてんじゃ――……、』
「誰が、誰をペットにしてるって?」
「あ、」
「……――――っ!? ひいい!!」
 噂話の対象が目の前に現れた瞬間、話をしていた数人は一気に青ざめると、物凄い勢いで後退って行った。
「お早うございます。高杉さん。」
「おう。」
 高杉さんのひと睨みで、こういう噂話をする人は大抵、黙る。 と言うか、この威圧感で来られたら、大抵の人は黙ってしまう。
 ほぼ毎日同じ部署で一緒に仕事をしている僕だって、未だに高杉さんがカタギの人間だってことが信じられなくなる瞬間がいくらでもあるような迫力が、彼の睨みにはある。
「今日は早いですね。」
「こう見えて忙しいからな。」
 ちらり冷たい視線で先程の噂話をしていた人たちを一瞥してから、高杉さんは悠然と歩き去って行く。
「――――っあの、」
「いつまでそこにいる気だ。さっさと来い。」
「でも、」
 声をかけると、てのひらを軽く動かす動作だけで「いいから来い」と告げられる。
 この程度の奴らなら放っておいて問題はない……ということだろう。
 態度が雄弁に語っている。鬱陶しくはあるが、掃うまでもない――――という高杉さんの意志は、問うまでもなく明確だ。
 他人のどんな評価も噂話も、高杉さんにはまるで関係ない。どう言われようと根も葉もない噂話をされようと、僅かな痛痒も感じない様子の高杉さんの揺るぎなさは、とてもじゃないが僕には真似できない。
 自分とはさほど変わらない慎重なのに大きく見える背中を追いかける。高杉さんは、恐ろしくはあるが、頼もしい人だ。
 ただ、こうなると別な心配事が発生している可能性がある。
 ああいう噂話が出ていたとなると――――――――……
「ちょっとアナタ!! そこで聞いたわよ!! 銀さんとのくんずほぐれつ三つ巴同盟を解消したっていうのはどういうこと!?」
 やはりというか、当然のように、フロアに到着した途端、さっちゃんさんに突撃された。朝、うちの社員と思しき人たちがしていた噂話は、さっちゃんさんの耳にも届いていたのだ。
 腕を組んだ仁王立ちの体勢で、フロア全体に響くような音量で問われた。
 高杉さんの表情が、とてつもなく面倒そうなものに変わっていく。
 彼にとっては、先程のような人たちよりも、さっちゃんさんのようにどんな状況でもマイペースで、噂話もへったくれも関係なく、己の思うまま主義主張を貫き通そうとする、要は、銀さんの関係者に多いこういう人たちが一番厄介なのだ。
「誰が……何だって?」
 繰り返して問う気にもなれないのだろう。高杉さんは目眩でも感じたかのように、眉間を抑えながら脱力していく。
「そのへんで銀さんが金髪美人に負けただの銀さんが土方十四郎を金髪美人に奪われただのという噂話が広がっているわ!! どういうことなの!? 説明なさい!!」
「あの野郎のことなんぞ知るか。テメェは社内諜報部員じゃねーのかよ。ンなモン、自分で少し調べりゃ判る話だろうが。」
「銀さんが金髪美人ごときに負けていいワケないでしょう!!」
「こ――……っの、女は…………!!」
 早々に、高杉さんはキレそうになっていた。気持ちも解らなくはない。恐ろしいほど会話が成立していないのだ。
 さっちゃんさんが相手だと、高杉さん相手だというのにうっかり助け船を出してしまいたくなってしまう。
「あの……さっちゃんさん、普段自分が銀さんにしてることを考えたら、土方さんとそのロシアから来た人がどういう関係かなんてことは、簡単に調べられるんじゃ、」
「私は銀さん意外の男のためにかける労力なんて、カケラも持ちあわせていないわ!!」
 自信満々で最低な宣言をくらってしまった。
「……諜報部員の否定はナシか?」
「ま、正確には内外だけれど。」
 高杉さんの問いにはそう答えて、さっちゃんさんが肩を竦める。
「…………え? あれ? そこ、冗談じゃなかったん……、」
 聞き逃せない単語につい問い返すと、圧力を込めた視線で黙殺されてしまった。
「……何でもありません。」
 そんなことをするくらいなら、そもそもヘタなことは口に出さないようにして欲しい。
「とにかく、どういう事情だろうと状況だろうと、銀さんを悲しませるようなことになったら、私が許さないから。」
 自分が言いたいことだけ言うと、さっちゃんさんはさっさとフロアを出ていってしまう。玄関でこれから出勤する銀さんを待ち構えるためだろう。
「…………高杉さん、」
 しばらく、随分と長い時間、高杉さんは目を閉じて、天を仰ぐような仕草をしていた。
 そして一言。
「面倒くせぇ。」
 心の底から、これ以上ないというほどの本気が伝わる疲れ切った声が、うんざりした様子で吐き出された。





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